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インタビュー

株式会社信濃路 西平都紀子 社長

企業

株式会社信濃路 西平都紀子 社長
若くして社長に就任されました
創業者の父から店の手伝いを頼まれたのが二十四歳の時で、それから包丁の使い方や天ぷらの揚げ方など一から勉強しました。6店舗のうちの一つで店長として切り盛りしていましたが、三十一歳の時に父が入院して三カ月で亡くなったのです。急なことで、引き継ぎも何もできない状態で社長になりました。
出所者の就労支援をはじまるようになったきっかけは
元々、十代のころ、警察に補導されるようなやんちゃをして、両親や世間に迷惑をかけていました。それで、なにかお役に立てることがないかと思っていた時、千房の中井政嗣社長から「そろそろやってみないかと」と背中を押されました。8年前から、「協力雇用主」という立場としては全国初の試みで、和歌山刑務所で直接、面接して採用し、これまでに二十人を雇いました。半年間を終えると、「初めて信頼されました」と感謝の気持ちを伝えてくれますが、期間が半年と決まっているので、その後はどうなっているかわからない、元の道に戻っていないか、と思うことがジレンマでしたね。
職親プロジェクトは違います
そんなジレンマを感じていた時に、また中井社長から「こんなプロジェクトがある」と連絡があり、二つ返事で引き受けました。職親プロジェクトではこれまでに二十代の男性一人を採用し、ようやくじっくりと面倒をみることができると喜んでいました。厨房の仕事をし、安心していた矢先に逃げてしまいました。一度は大阪に逃げて、また戻りたいと連絡があり、その子の兄貴分のような社員が「これから家庭を持って、子供を作って、家も買うような普通の人としての生活をしたくないのか」と話しましたが、伝わらなく、また消えてしまいました。逃げた子も両親がおらず、面倒をみていた子も両親がいなくて、同じ境遇ということもあり、一生懸命やっていたのですが...。ショックだったようですね。彼は今も行方不明のままです。どうしても嫌なことがあるとどうしても逃げてしまうのです。
若い頃にやんちゃだった経験は生かされていますか
出所者はそれぞれ環境が違いますが、気持ちはわかるつもりでいます。十八歳の時、警察にお世話にならなければ、同じことを繰り返しをやっていたかなと思いますね。人生を変えなきゃいけないと思った過去があるので、「みんなに人生捨てたもんじゃないよ」と話し、伝えていきたいと思っています。いろんな刑務所で講演する機会をいただきますが、いつもお伝えしていることがあります。「自分に負けてしまう人が多いから、本当に一歩踏み出して、自分に勝って新しい人生をつかみとってください」とお話をします。どうにか自分に打ち勝ってほしいです。
和歌山刑務所から雇った場合は職場で公表していましたか
店長にだけ伝えていましたが、多くの人は途中で自分からカミングアウトします。「実は...」というと、周囲は「もう戻ったらあかんぞ」と応援する雰囲気になり、みんな優しくなりますね。当初は出所者を雇用することは、社内でも賛否両論がありました。ですが、実際に雇用してみると、従業員が変わってきたのがわかります。やはり従業員一人一人が「自分たちがささえなければいけない。指導していかなければいけない」という自覚が出ます。
出所後に仕事があるのは大切ですね
刑務所で罪を償ってきたわけですから、出所したら、今度は同じ道に戻らないような環境を整えるべきです。仕事があり、自分を必要としてくれる環境があるということは非常に大事だと思います。仕事がないとどうしても楽な方に逃げてしまうので、ちょっとだけしんどいけど、それを乗り越えたら次が待っている。そこなんですよ。
将来的には
面接の機会がある度に随時採用して、年に3人くらいは雇用しているようにしたいですね。出所者を雇用したいという経営者の方がたくさんいますが、単に人手不足だからとか、時給が安くてもいいからということで雇用しても続きません。経営者として会社として受け入れる覚悟がなければだめなんです。経営者も社員も同じです。その覚悟がありますか。
そう尋ねるようにしています。そうでしょう。でも覚悟があれば、必ず会社にとってプラスになります。
【株式会社信濃路】
《会社データ》本社・和歌山市加納319旭建材ビル2F 創業・昭和50年5月
《事業内容》日本料理(そば・うどん)・ダイニングカフェ・惣菜(テイクアウト)・天ぷら専門店・道の駅マネージメント

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